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さよなら 農と自然の研究所農と自然の研究所(会員数900名)は、10年の存続期限を迎えてこの4月に解散する。百姓が生み出すカネにならないものを、カネに対抗できるようにするという活動目的は、どれほど実現できたのだろうか? 2005年から始まった福岡県の「環境支払い」。これをきっかけに、ほかの自治体や農水省も「環境支払い」に手を付けていくのではないか、「生きもの調査」はその王道に位置付けられるのではないか、という期待が高まった。だが、現実には、そうはならなかった。確かに「生きもの調査」は、「農地水環境向上対策」の一部にはなったが、本格的な「環境支払い」はもう少し先のことだ。「少しはよかった」というべきかもしれないが、カネ万能の資本主義に手綱をかけていく試みは、やっとはじまりかけたばかりである。 「農業で食っていける農政を実現させよう」。かつて掲げられたこの大きな物語とスローガンの実態は、サラリーマン並みの所得と生産コストを補てんできる所得でしかなかった。そこには一人一人の生き方や、百姓が生み出してきた自然や風景、村の文化は含まれていない。こうした幻想にしがみついてきた百姓と、それを経済成長で達成できるかのような幻想をふりまいてきた国家に、愛想を尽かした若い人たちが増えている。「国家や行政や農協がどうあろうと、自分自身がカネにならない豊かなものを抱きしめて生きていけばいいじゃありませんか」という若い層の言葉は、新しい思想といえるかもしれない。 所得は少なくとも、豊かに生きている百姓がいる。生産コストを下回っている米を栽培し続けている経営能力のない百姓が、実は村と自然を支えている。この現実の前で頭を垂れるのはカネや国家のほうだろう。これは新しい農本主義と命名したいくらいの見方ではないか。農と自然の研究所は、こうした生き方を支援する「もの」を、新しい「百姓仕事」と「まなざし」と「思想」の形で少しは提供できた。 やがて、これらのカネにならない自然へのまなざしや仕事によって、経済を尊重しつつも低く見下げていく時代が来るだろう。カネにならない最たるものが、農が生み出した(つくりかえた)自然であったし、その自然に包まれ、その自然に支えられた百姓仕事であり、まなざしであった。そのことは、ずいぶん明らかにできたと思う。 「リレーエッセイ 意見異見」『現代農業』2010年5月号より |